江戸時代、飢饉に苦しんだり、土地の開拓に難を抱えていたこの白岡地区。
そんな白岡を領地とし、おさめていたのが「新井白石」でした。
彼はその知恵と行動力で、飢饉対策やより多くの作物が取れるように開拓を進め、この土地は危機から逃れることができたのです。

そんな彼をたたえ、官位である「従五位下 筑後守」から筑後様と呼ぶようになりました。
また、彼の死後は命日である5月19日になると筑後様まつりを開催し、彼の偉業を主に地域の子どもたちに向けて発信していく行事を行っています。

一時期は途絶えてしまったこの行事ですが、2018年より再開され、彼の偉業は再び後世に語り継がれることとなったのです。