伊達宗高公は仙台藩主伊達政宗公の七男で柴田・刈田三万石村田城主であり、蔵王大噴火鎮静のため蔵王に登り命願され、その甲斐あって噴火はやんだが寛永3年京都において、8月17日に逝去され龍島院に埋葬されました。
御廟の前には10人の殉死者のはかもあります。

命日当日に、宗高公まつりと万燈篭供養会ならびに花火大会が開催されます。
ほかにも、和太鼓の演奏などの催しが行われるほか、露店も立ち並び、多くの見物客で賑わいます。