大化改新後、相模国の総社として現鎮座地に遷座し、その時より柳田大神・一之宮寒川神社・二之宮川勾神社・三之宮比々多神社・四之宮前鳥神社・平塚八幡宮の分霊を合わせ祀ることから、相模国総社六所神社と呼ばれるようになりました。
鎌倉時代には源頼朝、戦国時代には小田原北条家、江戸時代には徳川家康より高い崇敬を受けたと言われている神社です。
毎年2月3日には節分祭が開催され約100人の福男が集い「福は内、鬼は外」という掛け声とともに、盛大に豆まきが行われます。