中尾棒踊は、市の指定無形民族文化財に指定されている踊りで、現在は五穀豊穣や悪疫退散を祈願するために龍房山中腹に鎮座する霧島様(霧島神社)大祭に奉納されています。

天正5年に都於郡城主伊東三位入道義祐一行が薩摩に追われて、現在の西都市穂北から中尾を通って尾八重を越す米良の山道を行き、豊後(現在の大分)に敗走する際、冬の寒さの厳しさもあり道中脱落者が多数出ました。

中尾棒踊は、伊東主従の豊後落ちの道中で中尾に残されたものが、後に武芸修練のために始めたのが発祥と言われています。