百済寺で出家・示寂された井伊直滋公の祥月命日に住職が菩提を弔う「峻徳院殿墓参」が行われます。

百済寺と井伊直滋公との関係は父、井伊直孝公の時代からであり、焼き討ちにされた百済寺の再興を願い、領内各地の村々より計2281人もの人員を寺に入れ、労力の面を全部受け持っています。また、木材など物資の寄進を行い、大奥への寄金要請にも力を入れるなど再興に力を入れていました。

井伊直滋公は、1658年に出家し百済寺で隠遁し、1661年に百済寺で生涯を閉じており、現在も赤門の南側の山中には井伊直滋公墓所がのこされています。