豊臣秀吉公によって城下町が築かれ、大きく栄えた長浜城下町。秀吉公没後、秀吉公は長浜の人々に敬われ、徳川時代にあっても秀吉公が奉り続けられました。しかし、江戸時代では徳川の命により、秀吉信仰は禁じられていました。

そのために、神社の前立てとして恵比寿神を祀り、秀吉像は奥殿に祀ることで難を逃れていました。そして明治時代に突入した後も、豊国神社は恵比寿神の祭礼が続けられていました。その中で一番大事なのが十日戎(とおかえびす)です。

十日戎では、福娘による福餅まきや、甘酒の振る舞い、宝恵駕籠の巡行が執り行われます。