「馬関まつり」は昭和49年に街の活性化の為に行われたのが始まりで、昭和53年に公募により「馬関まつり」と命名され、山口県下最大の40万人を超える人出で賑わいます。

下関市は市政施行当初「赤間関市」という名称でした。「間」を「馬」の字をあてて「赤馬関」とも呼ばれていて、「馬関まつり」命名のきっかけになりました。

見所のひとつは2日目に行われる「平家踊り・平家踊総踊大会」です。
下関の壇ノ浦で敗れた平家一門の供養のために踊られたのがルーツと伝えられています。
約4000人の踊り手が会場を埋め尽くし、迫力に圧倒されます。

他にも「挑戦通信使行列再現」や各所にステージが設けられ、多彩な催しが開催されます。