この地で生まれたとされ、明智氏歴代の墓がある城跡近くの天龍寺で、光秀の命日である6月13日前後に供養祭が行われます。本堂には、6尺1寸3分の大きな位牌や、木像が安置されています。
”逆臣”として汚名を着せられている光秀ですが、その人柄・教養・善政により、約60年前から有志によって供養祭が執り行われるようになりました。
近くには明智城址がありますので、非業の歴史を辿って散策してみるのもいいですよね。