会津藩は幕末において朝敵とされ、鶴ヶ城籠城や白虎隊の悲劇など様々な苦難を経験しました。そして武士だけでなく、多くの婦女子の尊い命が犠牲になりました。

善龍寺は保科正之の会津入りとともに建立されたお寺で、戊辰戦争では自刃した会津藩家老西郷頼母やその家族のお墓や、殉難死した会津藩士の婦女子233名を弔う奈与竹の碑があります。
奈与竹とは、西郷頼母の妻の辞世の句からとったものです。

毎年5月1日にはその善龍寺で殉難死した女性たち霊を弔います。式典最後には市内女子高校生たちが「女白虎隊」の剣部などを披露します。