明治後期に養蚕農家が増え、蚕が丈夫に育ち、繭が豊作になることを祈念する「お蚕祭り」になったと言われています。
お蚕祭りの朝、観世音菩薩坐像を収めている厨子の扉を開け、供養しながらおみくじを引いてその年の吉凶を占います。そのおみくじを山車の上に乗る「猩々」という飾り人形に持たせ繰り出します。また、山車の上から繭の形をした餅を参拝者にまきます。町の重要無形民俗文化財である「猩々ばやし」が威勢よく打ち鳴らされ、山車が巡幸します。