太田番楽は、幕末のころ、太田神明社の別当修験であった6代目の法楽院峰紹が、京都遊学の折に神楽能楽などの芸能を勉強し、帰京後にこれらをもとに番楽を造り上げ、村人に伝えたとされています。

演目は表舞の千代払・翁舞・三番叟・千歳鳥舞・根子伐舞・若子・わらび折・山神舞などがあり、裏舞には、玉捕・紅葉狩・大江山・鞍馬・五条の橋・宇治川・一の谷・屋島・船弁慶・十番斬・壇ノ浦などがあります。もともとは表十二番、裏十二番の24舞とされていました。

お囃子は太鼓と笛で構成され、表舞はゆったりとした優雅な動作で舞われ、裏舞には台詞がはいり、花道と舞台がお互いに掛け合いをするなど、武士舞が多く舞われます。