城内さんさ踊りは、かつて大ヶ生城主が先祖の慰霊と豊作祈願のために、当時もっとも盛んであった三本柳さんさ踊りの師匠から教えを受けて始まったものと言われています。

明治時代には隆盛を極め、お盆になると龍源寺に集まり、夜をとおして踊り明かしていたそうです。第二次世界大戦の戦況悪化で中断されていましたが、戦後に有志が集い、改良を加えて復活し現在に至っています。

現在では伝統のお盆の龍源寺の奉納の他、大ヶ生の里縄文まつりなどでも披露されています。