芳養王子跡に立つ大神社では、5歳から7歳の子どもも着飾り、額に大小と書き、各字ごとののぼりを先頭にお渡りをする「美人万歳」が奉納されています。付き添い者は一つのツルになすびが2つ付いたものを持ちます。

芳養王子は、天仁2年(1109年)10月、熊野参詣をした藤原宗忠の日記「中右記」に、「早(芳養)の海浜に出て河を超え、早王子に参った」とあり、また建仁元年(1201年)10月藤原定家の熊野御幸記に、「ハヤ王子」とでてきており、現在芳養王子跡は大神社となっています。