竹原神社の祇園祭は大変珍しい様式で、「アワアワ祇園」と呼ばれています。
正保2年(1645年)に園部川上流の旧大谷村を中心に伝染病が流行しその原因が「大谷村の牛頭天王が人を食うからだ」との噂が広まり、怒った大谷村の人々が牛頭天王の御神体である金幣を園部川に流してしまいます。
その御神体が竹原村に流れ着き、神の怒りを恐れた村人が御神体を引き上げ洗い清め、焚火で温め乾かしてから祠を建ててお祀りしたという創建伝説があります。

1日目は夕刻に神輿渡御、2日目の神輿の宮入りでは激しいもみ合いがあります。
かつては初日の川渡御で「アワアワ」と声をかけながら神輿に水をかけたことが名前の由来であると言われています。