八戸三社大祭は、享保5年(1720)凶作に悩む八戸の有力者たちが法霊大明神(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願したところ、無事に秋の収穫を迎えることができました。

その御礼として、八戸藩の許可のもと、寄進を募って神輿を建造し、享保6年(1721)、長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことが、八戸三社大祭の始まりと言われています。

その後、現在の三社大祭は、民族芸能等に古い伝統を保ちながら、民話や歌舞伎などを題材として毎年趣向を競って製作される27台もの山車が行列に「附祭(つけまつり)」として加わり、見る人に驚きと感動を与えます。