毎年10月15日に行われているこの例祭では稚児の渡御式が行われ、南北朝時代に吉野で朝廷を開いた後醍醐天皇が行幸した際に起こしたものであると云われ、以来700年もの間、1度も中止がされたことがないと云われています。

古来ここの社殿は荘厳だったようだが、戦国時代に明神の森の東の端に高野山宝護院の出城があり、織田信長の紀州攻めに対抗するため築城され、背山城とともに東西の双翼を担っていました。後の戦いで落城した際に神社も焼失しました。その後に再建されたものです。