八代市にある明言院の開創は583年で、その後645年に龍ヶ峰山妙林寺と名を変え、八代郡の政庁寺になったとあります。
1178年には天台宗、月山禅誉和尚のもと、龍ヶ峰山興善寺となりますが、平家の滅亡のころには、興善寺も廃寺となってしまいます。
その後、1352年には名和氏により建立されますが、1588年に廃寺になり、1659年に中興の許可が下り、明言院秀盛が一世の住職になり、現在に至っています。

主な仏像は秘伝として開扉硬く禁じられていたが中興後は、秋分の日の9月23日の大祭で公開されます。